DXの発祥は2004年と15年前に遡ります。スウェーデン・ウメオ大学のエリック・ストルターマン教授がその概念を提唱しました。曰く、「ITの浸透が、人々の生活をあらゆる面でより良い方向に変化させる」。
DXというコトバが様々な場面で使いまわされるようになり、その結果なにが「ソレ」なのかわからない状況になっている。これまでのITとなにが違うのか、正直ピンとくるものがなかったし、私の周りのITエンジニアにも統一見解は無さそうだ。
そんな時に、ITエンジニア観点でフワッとイメージしたのがコレ。
『①環境が変化→②視点が増える→③視座を変える→課題認識していなかったものが解決される』そんなプロセス。
①環境としてのデジタルテクノロジー
これまでは、経済活動や生活を支えるポジションだったテクノロジーが普遍的になり、『環境に存在』するようになっている。IoTな状態(センサーや端末が日常生活の中に組み込まれている)にすでになっている。
②③視点と視座
「環境としてのデジタルテクノロジー」を通して視点(センサーなんかはイメージしやすい)が増えていく。ただ、視点が増えただけではダメで、集めたモノをデータとし扱える事が必要になってくる。
また、データとして扱う人材がどのポジションにいるのかがポイントで、新たな視点から仮説課題を抽出、解決していくには当事者の視座に立っている必要がある。
そう考えると、環境としてのデジタルテクノロジーを扱えない人(会社)は、そのスキルを持つ人と共創することを選択することになる。ITエンジニアはこのスキル、センスを持っていれば活躍できるというわけだ。
と、フワッと想った。
さて、タイトルの写真
電車を待っていると、時代劇から飛び出したような女性がそこに並んでいた。私の視点、視座では認識できない何かがあるに違いない。